今週、インドネシアから3名の見学者をお迎えしました。
昨年ドイツのオンラインジャーナルに掲載された論文をみたとのことで連絡があり、
メールでの手術見学依頼、顔も知らないDrに招請状を発行し、急遽来日が決まりドキドキの数日間でした。
モチベーション高く、何でも吸収しようとする熱意に当方が圧倒されるほど熱心に見学してもらい、
むしろ逆にこちらが勉強させてもらった感じです。
最終日は、日本食のお店で大反省会・・・盛り上がりました。
ネット環境が発達し想像を超えた新世界での出会いとご縁にあらためて驚きと感謝です。
福岡県八女市黒木町にお邪魔しました。
山鹿市から北へ30分県境を越えたお茶所です。
昔は鉄道が通っていたのでしょうね。
好天に恵まれ、奥八女のせせらぎと名刹をめぐる美しいコースでした。
往路はup up up、復路はdown up downと厳しく、
登りが苦手な自分は前半戦で白旗完敗の状態。
何とか制限時間内に戻って来れました。
シーズン5レース目が終了、年内はこれにて一旦お仕舞い。
年明けは4レース、これから地道にトレーニングします。
3年ぶりの開催とのことです。
前日までの雨予報が一転し午後からは青空も。
光る海を眺めながら絶景の10Kを走ってきました。
諫早市の手前から出島まで一気に高速が通るようになってから、
渋滞しらずの快適なドライブができるようになっています。
懸念された腰痛も軽快して迎えるシーズン中盤・・・健康のありがたみをしみじみ感じます。
油断せずに安全運転を心がけたいと思います。
秋晴れの日が続いています。
旧・三加和町(現・和水町)は金栗四三さんの生まれ故郷、
稲穂と小川のせせらぎが織りなす日本固有の優しい田園風景が
心穏やかな気持ちにさせてくれます。
ここに通い始めて早10年、年ごとにタイムは遅くなりますが、
自分のふるさとに帰省したかのような安心感・・・
今年も、のどかな秋の一日をありがとうございました。
過去10カ月を振り返ってみると・・・
2月と8月にピークがあります。
8月の流行は2月のそれに比べると、感染力が増しているものの、
重症化率はぐんと下がっていることがわかります。
だんだん、風邪のウイルスに近づきつつあるのでしょうか。
経済活動も社会活動もぼちぼち再開してもよさそうですね。
油断禁物だけど
新国立競技場を発着するマラソン大会を走ってきました。
ぎっくり腰から3カ月経過し、痛みは多少遠のいてはいますが・・・
だましだましトレーニングするも、こわごわで強度は上げられない。
かすかな光と不安が入り混じる中、1万5千人のランナーと共にスタートラインに整列・・・
制限時間も厳しく、エリートランナーの号砲から25分遅れてスタート。
3か所の関門をギリギリクリアして、何とか時間内にゴールすることができました。
あーあ楽しかった・・・いい汗かけてありがたやです。
無心でかけっこした秋晴れの一日でした。
宮沢賢治の作品の多くは没後に発見され、弟さんや友人の手で整理され出版されたものです。
なかでも「銀河鉄道の夜」は、独自の宇宙的スケールの世界観と、利他や自己犠牲といった深遠な宗教観が詰まった最も精神性の高い作品です。
生前に大きな文学賞を得て周囲の期待と注目の中で創作活動を続ける作家がいる中、コツコツと日常の仕事や生活と並行して、丁寧に作品と向き合った真摯な生き方に共鳴と憧憬を禁じ得ません。
今では誰もが知っている「雨ニモマケズ」の一節も、亡くなる直前に手帳に書き留めていたメモが後年発見されたものらしく、自己と向き合う孤高な姿勢に感動を覚えます。
他者の目を意識しない、慈悲深くも素朴で求道的な賢治の生き方を、この年になって知ることができたのは幸いでした。
3年ぶりでした。
実走の大会がやっと戻ってきた、という感じです。
稲穂が実り彼岸花が咲く田園風景に心身ともに癒されます。
7月、エントリー直後にぎっくり腰を患い、歩くのがやっとの状態から
少しずつジョギングを再開させ、スタートラインに立てただけでも大満足。
澄んだ空気と青い空の下で、今となっては懐かしい秋の一日を満喫しました。
思い通りにいかないことも含めて人生ですね。
走れるだけでも幸せな事です。
菅原道真の提言により260年以上続いた遣唐使制度は廃止されました。
当時は海を渡り大陸に行くには大きな危険が伴い、航海の成功率は約半分。
唐からは仏教文化や法典、政治制度など先進的な情報がもたらされ、当時の日本にとっては貴重な情報交流であったようです。
894年、朝廷から遣唐使に任命された道真は、航海の危険性と唐朝末期の混乱を理由に渡航中止を提言し、任を解かれることなく結果的に遣唐使制度は中止になっています。
907年に唐は滅亡。
道真は901年、藤原氏との政争に敗れ大宰府へ左遷され失意のうちに2年後に亡くなっています。
死後、宮中では不吉な出来事が頻発し、道真公の魂を鎮めるために
947年、北野天満宮が造設され、以後神として崇め奉られます。
全国各地にある菅原神社や天神様は数知れず、その数は1万社とも。
学問の神様であり、シンボルは梅と臥牛