第何派になるのでしょうか?
はたして感染症がすべて把握されているのか?
5月からは5群に分類変更される?
白黒はっきりしないまま1月が終わろうとしています。
散歩をしていても人の出が多いように感じます。
アーケードの中でも外国語がちらほら聞こえてきます。
少なくとも社会活動を、過剰に自粛すべき時期を脱しつつあるのは間違いないようです。
本日は御用納めです。
関係各位、1年間お疲れさまでした。
また本日は満66歳の誕生日。
素敵なプレゼントを頂きました。
いつもお気遣いありがとうございます。
年は重ねましたが、気持ちはまだ若いつもり。
廻りに助けられながらも、出来るだけご迷惑を掛けない様、
血管外科医としての仕事を来年も元気に続けたいと思います。
寒い季節、体に気を付けて、良いお年をお迎えくださいね。
1年間ありがとうございました。
今年も残すところ後10日と少し。
毎年楽しみにしているクリニックの忘年会は・・・止む無く中止としました。
苦渋の決断です。
令和2年の2月からほぼ3年間のコロナ時代、来年こそは消えてなくなって欲しいものです。
カタールWCでは観客は誰もマスクをしていません。
この辺のところ、我が国どうなのでしょうかね?
早く疫病が退散してくれることを祈って、年末の後かたずけに励みましょう。
今週、インドネシアから3名の見学者をお迎えしました。
昨年ドイツのオンラインジャーナルに掲載された論文をみたとのことで連絡があり、
メールでの手術見学依頼、顔も知らないDrに招請状を発行し、急遽来日が決まりドキドキの数日間でした。
モチベーション高く、何でも吸収しようとする熱意に当方が圧倒されるほど熱心に見学してもらい、
むしろ逆にこちらが勉強させてもらった感じです。
最終日は、日本食のお店で大反省会・・・盛り上がりました。
ネット環境が発達し想像を超えた新世界での出会いとご縁にあらためて驚きと感謝です。
福岡県八女市黒木町にお邪魔しました。
山鹿市から北へ30分県境を越えたお茶所です。
昔は鉄道が通っていたのでしょうね。
好天に恵まれ、奥八女のせせらぎと名刹をめぐる美しいコースでした。
往路はup up up、復路はdown up downと厳しく、
登りが苦手な自分は前半戦で白旗完敗の状態。
何とか制限時間内に戻って来れました。
シーズン5レース目が終了、年内はこれにて一旦お仕舞い。
年明けは4レース、これから地道にトレーニングします。
3年ぶりの開催とのことです。
前日までの雨予報が一転し午後からは青空も。
光る海を眺めながら絶景の10Kを走ってきました。
諫早市の手前から出島まで一気に高速が通るようになってから、
渋滞しらずの快適なドライブができるようになっています。
懸念された腰痛も軽快して迎えるシーズン中盤・・・健康のありがたみをしみじみ感じます。
油断せずに安全運転を心がけたいと思います。
秋晴れの日が続いています。
旧・三加和町(現・和水町)は金栗四三さんの生まれ故郷、
稲穂と小川のせせらぎが織りなす日本固有の優しい田園風景が
心穏やかな気持ちにさせてくれます。
ここに通い始めて早10年、年ごとにタイムは遅くなりますが、
自分のふるさとに帰省したかのような安心感・・・
今年も、のどかな秋の一日をありがとうございました。
過去10カ月を振り返ってみると・・・
2月と8月にピークがあります。
8月の流行は2月のそれに比べると、感染力が増しているものの、
重症化率はぐんと下がっていることがわかります。
だんだん、風邪のウイルスに近づきつつあるのでしょうか。
経済活動も社会活動もぼちぼち再開してもよさそうですね。
油断禁物だけど
新国立競技場を発着するマラソン大会を走ってきました。
ぎっくり腰から3カ月経過し、痛みは多少遠のいてはいますが・・・
だましだましトレーニングするも、こわごわで強度は上げられない。
かすかな光と不安が入り混じる中、1万5千人のランナーと共にスタートラインに整列・・・
制限時間も厳しく、エリートランナーの号砲から25分遅れてスタート。
3か所の関門をギリギリクリアして、何とか時間内にゴールすることができました。
あーあ楽しかった・・・いい汗かけてありがたやです。
無心でかけっこした秋晴れの一日でした。
宮沢賢治の作品の多くは没後に発見され、弟さんや友人の手で整理され出版されたものです。
なかでも「銀河鉄道の夜」は、独自の宇宙的スケールの世界観と、利他や自己犠牲といった深遠な宗教観が詰まった最も精神性の高い作品です。
生前に大きな文学賞を得て周囲の期待と注目の中で創作活動を続ける作家がいる中、コツコツと日常の仕事や生活と並行して、丁寧に作品と向き合った真摯な生き方に共鳴と憧憬を禁じ得ません。
今では誰もが知っている「雨ニモマケズ」の一節も、亡くなる直前に手帳に書き留めていたメモが後年発見されたものらしく、自己と向き合う孤高な姿勢に感動を覚えます。
他者の目を意識しない、慈悲深くも素朴で求道的な賢治の生き方を、この年になって知ることができたのは幸いでした。