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熊本赤十字病院に見る「自己完結型」救護

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昨日は母校医局の同門会総会でした。
旧友・宮田昭先生の報告講演を聴く機会を得ました。

「自己完結型」救援という熊本日赤機動部隊の活動を詳しく聞くことができました。震災当日の夜9時には第一陣が熊本を出発し、第二陣はその3時間後に出発しています。初動の迅速さと重装備部隊一式を速やかに現地へ派遣する展開力に感嘆します。長年の救援活動を続けてきた地道な努力と人材育成の成果です。

あっぱれ熊本日赤、あっぱれ宮田です。


詳しくは以下の取材記事をご覧下さい(引用・長文です)。

◆熊本赤十字病院に見る「自己完結型」救護
震災6時間後に「被災地に向けて前進」、陸路1600km、石巻へ
http://www.m3.com/iryoIshin/article/135845/

 「日赤本部とやり取りしていては時間を空費する。まず要員の決定と器材の選定、準備を行い、第一班10人は3月11日21時に出発、第二班13人は3月12日0時に出発 した。出発した時点では、『何はともあれ、北に向かう』ことを考え、目的地は定めていなかった。東名高速道路の厚木インターを過ぎた辺りで、石巻に行くことを決めた。熊本 と石巻は実に1600kmの距離で、約40時間かかった」

 4月20日に、全国の日赤病院院長が集まり開催された、「日本赤十字社病院長連盟」の臨時総会「3.11 東日本大震災情報交換会」。熊本赤十字病院診療部長の宮田昭氏はこう語り、「『自己完結型』救援のあり方とは?」と題して講演した。総会では被災地の石巻赤十字病院と仙台 赤十字病院のほか、支援側の代表として、熊本赤十字病院と名古屋第二赤十字病院が現状を紹介した。

 熊本赤十字病院が4月25日までに派遣したのは、延べ148人の医療者(医師39人、看護師39人、コメディカル7人、管理要員63人)に上る。これは、職員数約120 0人の1割以上に当たる数だ。現地に運んだ支援物資は、約90トン。費用は、すべて同病院の負担だ。日本赤十字社は、東日本大震災で義援金を集めているが、それらはすべて 被災者支援に充てられるため、支援する側の医療機関への援助はない。

目的を決めず北上、「時間を無駄にせず」

 全国の赤十字病院は、日本赤十字法に基づき、非常災害時などに救護に当たる救護員を置くことが求められている。熊本赤十字病院では、1チームは医師2人、看護師3人、管 理要員3人を基本とし、計10チームを日ごろから準備。そのほか、特殊救護要員として、大型自動車免許やフォークリフト免許などを持ち、電気技能講習などを受けた「The Blue Guys」というスタッフも備え、年数回訓練している。「当院の救護班の体制は、他の病院よりも手厚い。災害医療では、通常診療とは違う様々なリスクが伴う。トレーニング を受けていない人がいくと、かえって危ないこともある」(宮田氏)。

 3月11日の第一班出発までの動きは早かった。地震発生後、院内にすぐに院長をトップとする対策本部を設置、テレビやインターネットなどで情報収集を始めた。「震災直後 は、日赤本部も各日赤の支部も、被害の全体像を把握しておらず、どこに救護班を派遣していいかを指示できる体制になかったはず。指示を待っていたら、時間を空費する。『時 間を無駄にしない、被災地に向けて前進する』のが院長の方針だった」と宮田氏は説明する。

 救護員として登録しているメンバーの中から、日常勤務の体制なども踏まえ、第一班の10人、第二班の13人を決定。第一班の救護班班長を務めたのが、38歳の外科医。ト レーニングを積んでいるものの、初めての災害現場。国内では阪神・淡路大震災、海外ではスマトラ島沖地震などでの活動経験を持つベテラン医師も同行させた。また支援物資は 、手が空いている職員全員を借り出し、医薬品から食料品など様々なものを準備した。

 第一班は、四輪駆動の緊急車両3台。「道が通れるかどうかも分からない。機動力、行動の自由を持つことが重要であり、万が一、何かあっても脱出できる体制にすることが必 要」(宮田氏)。第二班は、10トントラック3台をチャーター、そのほか熊本赤十字病院が持つトラック2台(ウイング式とクレーン付き)なども出動。第一班と第二班は、携 帯電話だけでなく、無線と衛星電話を持ち、連絡を取る体制にした。


(中略)


「人、モノ、時間、院長(リーダーシップ)」が重要

 熊本赤十字病院では、国際用のERU(緊急対応ユニット)、ホークリフト、DISASTER RESCUE車など、どこにでも駆けつけることができ、診療できる体制を備える。これは全国の赤十字病院の中でも、“重装備”だが、それは以前から災害医療に力を入れてき たからだ。かつ前述のように、震災初期の対応が終わっても、継続的にチームを派遣し、「成瀬地区」の医療支援を担当した。「たくさんのチームが入り、頻繁に入れ替わったら 、コーディネートする側は非常に大変。引き継ぎもうまくいかない。『この地域はすべて熊本日赤が担当する』とし、責任を持って支援した」(宮田氏)。熊本赤十字病院におい ても、後方支援のためのミーティングを実施している。

 宮田氏は、「自己完結型」救護の重要性を説く。それは熊本赤十字病院のような装備の問題ではなく、第一は行動様式の問題だ。

 「寝袋、毛布などを背負ってきても、『荷物どこに置きましょうか』、『どこで仕事しましょうか』、『ご飯どこですか』と続き、『帰り道を教えてください』という人がいる が、一番やっても、やらせてもいけない例」(宮田氏)。

 宮田氏が言う「自己完結型」救援とは、「危機発生→経験→問題抽出→企画→開発→訓練→実働→問題抽出」という、サイクルを回せること。それには、「人、モノ、時間、院 長(リーダーシップ)」が重要で、例えば「人」を育てるには、医療だけでなく、大型自動車免許や電気技能などの様々な技術の習得に加えて、訓練と経験が必要だという。

 さらに、宮田氏は、「全国数カ所に、日本赤十字社の本社・支部機能を介さず、即応的に救護活動をスタートする仕組みが必要」と指摘する。前述のように災害初期は、情報収 集すらままならない中、本社・支部機能の指示を待っていては、対応が遅れるからだ。情報が集まり、地域全体のコーディネートが可能になれば、“司令塔”が必要になるが、そ れでも状況は日々変わり、臨機応変に対応していくことが求められる。「自己完結型」救援は、災害のどんなフェーズでも求められる姿勢と言える。

  • 2011年05月15日(日)10時01分

足手荒神さん

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熊本県上益城郡嘉島町上六嘉にある甲斐神社をたずねました。
http://www4.ocn.ne.jp/~ashite/
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/aside.html

このお社は天正年間(16世紀後半)豊臣秀吉配下の隈本城主・佐々成政の苛酷な統治(太閤検地)に反旗を翻し、後に敗走し当地で亡くなった阿蘇氏の家臣・甲斐宗立公をお祭りしてあります。秀吉軍からの激しい追討をかいくぐりこの地にたどり着いた宗立は村人から手厚い看病を受けます。最期に臨んで「わが魂この世に留まり子々孫々を見守り手足の病に苦しむ者を救いやる」と言い残し亡くなりました。

以降当社は「足手荒神(あしてこうじん)さん」とよばれ、手足の病に苦しむ多くの人々がご利益を賜るために遠来より詣でる神社となりました。

下肢静脈瘤に悩む患者さんを専門に診る仕事をさせていただいており、開業1年目の区切りにと先日お参りに上がりました。境内には沢山の手形や足型が奉納されており多くの人の祈りと願掛けの思いを強く感じました。

近くには県名水100選にも選ばれた浮島神社(写真右)やサントリービール工場(見学と試飲ができます)、また足を伸ばすと沼山津の横井小楠記念館(四時軒:坂本龍馬が3度も訪れた所)も近く、初夏の休日散策におすすめです。

横井小楠記念館
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=64
注意・・・駐車場狭いです

  • 2011年05月06日(金)08時03分

第39回日本血管外科学会総会(沖縄)

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国吉幸男琉球大学教授が主催された沖縄の学会に行ってまいりました。

若い頃同じ九州で同じ領域の学問を学んだ同世代のご縁でしょうか、旧知の先生から思いがけずも座長の役を仰せつかり立派な感謝状まで頂きました。一開業医にとっては身に余る光栄でありこれからの励みにもなります。

会長から伺ったところによると、当地でも観光客激減とのことで、暗雲が垂れ込めるように日本各地で震災のダメージが感じられ、この国難は長丁場になりそうです。今後は国民全体がひとつのチームとしてそれぞれが与えられた仕事を誠実に実行していくことが大切とお話されていました。

東京で開催予定であった日本外科学会をはじめ幾つかの大きな学術集会がが已む無く中止となる沈滞ムードの中、総会開催を英断され、また会を成功裏に導かれたことを心よりお喜び申し上げます。

久しぶりの沖縄は乾いた風が心地よく、透き通るような空の青さが身に沁みます。

会場ではスペシャリストの先生達をつかまえては厚かましく教えを請うたり、以前からお世話になっているお師匠さんたちと食事に出かけたり、さらには旧友と夜が更けるまで那覇の町を歩き回ったりと、たっぷりと「非日常」を満喫させていただいた充実の3日間でした。

いろいろとお世話になりありがとうございました。
またお邪魔させてください。

  • 2011年04月23日(土)16時41分

巨匠来熊

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今週はクリニックに和歌山・広島・小倉からのゲストをお迎えしました。いずれの先生方もDay Surgeryの世界では大先輩で経験豊富な巨匠たちです。

学会でお目にかかるだけでなく、日帰り手術の最新の話題についてざっくばらんなお話しをたっぷり聞かせていただく機会を得ました。益々モチベーションが上がります。年を重ねても少しでも進歩したいと、剣術修行中の身としては、さらに仕事に対する欲も芽生え、また刺激を受けた幸せなひと時でした。

トップレベルのsurgeonsとこうした交流ができることは大変光栄なことです。今更ながら日帰り手術クリニックを開業して良かったな、としみじみ感じます。今度お会いしたときには更に腕を上げ一皮剥けた「切れる」外科医になりたいと思います。わざわざ遠くからたずねてきて下さりありがとうございました。

  • 2011年04月15日(金)13時22分

パワースポット

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想うところありまして、あの高千穂へ行ってきました。

震災で亡くなられた方々への慰霊と鎮魂、
東北地方の復興祈願、日本国の安寧と平和、
最後に家業の安全などを神社でお祈りして来ました。

樹齢800年を数える杉木立の静寂、
天岩戸の神話に登場する平安河原の幽玄、
五ヶ瀬川に沿った渓谷の圧倒的な自然の造形美など
天孫降臨の地にふさわしい佇まいでした。

訪れる先、いたる所に神々の気配を感じる場所です。

朝から歩きっぱなしなのはわかるのですが、少し早いお昼にと高千穂牛、
少し遅いお昼には蕎麦会席と・・・多すぎです。
育ち盛りじゃあないんだから。
パワーだけでなく体重もUPしてしまいました。

あとは・・・頂いたパワーをどう仕事に生かすかでしょう・・・とは嫁の弁

  • 2011年04月05日(火)08時29分

オークス通り

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通称オークス通りはホテルキャッスルの裏に大きな楠が並んでいてその「大楠」にちなんで「オークス通り」と命名された、ということくらいは私も知っておりました。最近は上通り界隈の町並みの整備が進んでいて、先日来しゃれた案内プレートも設置されています。

今週、患者さん(第一高女OGの方)からお聞きした話では・・・その昔校庭に大きな楠の木があり運動場の落葉掃除をしていました、それが今のオークス通りの楠の木です、とのこと・・・
毎日の通勤路にもかかわらず所縁も知らずにボサーッと通り過ごしておりました。

オークス通りで仕事を始めてもうすぐ1年。縁のあるこの場所が大好きになりました。初心を忘れずにいつまでも元気にこの通りを歩いて通勤したいと思います。

オークス通り
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=36
http://www.higonavi.net/shop/shop_group.shtml?g=18

  • 2011年04月01日(金)08時39分

Pray for SENDAI ・・・オハイエくまもと 第2回「とっておきの音楽祭」

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「オハイエくまもと」は2009年4月に設立されたボランティア団体です。障害のある音楽演奏者を支援する活動を続けています。

昨年に引き続き今年も3月27日(日)に熊本交通センターセンターコートをメイン会場に熊日びぷれす広場やパルコ前など市内中心部計8箇所で様々な趣向の音楽パフォーマンスを予定しています。

また当日は東日本大震災の被災者に義援金を送る募金活動も計画されており、「とっておきの音楽祭」発祥の地である仙台を応援する意味もあって沢山の人たちがこの活動に参加しています。

小生以前勤務していた病院の同僚小児科医がこの会の発起人であったご縁から今年はサポーターとして応援します。

オハイエくまもと公式HP http://ohaie-kumamoto.org/

  • 2011年03月23日(水)09時36分

餅は餅屋

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下肢静脈瘤専門の職人を目指してまだ日も浅く修行鍛錬の毎日ですが、志を同じくする外科医に出会う喜びは格別です。

先週は山口から斎藤先生がお見えになり2日間で4例の日帰りストリッピング手術を見学されました。自分自身が数年前に名医を求めて東京や広島・長崎をはじめ日本各地を訪ね歩いた若いころ(?)を懐かしく思い出しました。当時訪れた先々では暖かく迎えていただき、その師匠達の教えは今でも単に技術的な面だけでなく精神的な面で大きな支柱になっています。

職人技を極めようとする者同士でのみ解りあえる手技上の工夫や原理原則などへのこだわりを共有できた有意義な2日間でした。人に何かを教えたり伝えたりするという事は、自分自身の信念や真実を再確認する作業なのだと思いました。理系技術屋の醍醐味ですね。

餅は餅屋、下肢静脈瘤は熊本血管外科クリニック、といわれるような信頼される匠になりたいものです。

最後に、いつもと変わりなく高いクオリティで手術のサポートをしてくれた自院のスタッフにも感謝したいと思います。

  • 2011年03月20日(日)12時57分

さよなら森野先生

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「楕円のボールはどっちに転ぶかわからない。だからラグビーはおもしろい。人生もいっしょ。」

強烈な大阪弁の新任生化学教授と最初に出会ったのが19歳の時だから35年前。
享年79歳とのことだから、当時森野さんは44歳だったのか、今の自分より10歳も若い。

前任者退官の後、熊大医学部着任早々に我がラグビー部部長に就任してもらって以来、長きに渡り公私ともどもアドバイスをいただきました。まじめでやさしく穏やかな口調だが、スミからスミまで丁寧に観察される眼力。陰日向のない嘘のない姿勢はいつも男として憧れの存在でした。

小生が大学院を卒業後、新米教官になった頃、偶然ばったり基礎棟の廊下ですれちがった時にふとつぶやかれました・・・「論文はね、数書けばいいというものではない。でもねえ、いい仕事している人は結局数書いてるよね。」
えっつ?! 私の論文、質薄いですか?それとも数も大事って、もっと書けってことですか?

またある時某所で・・・「宇藤君、今のところ君えー線行ってるし、ええんちゃうの。」「でもなあ、いざ戦う時には間髪入れんと速攻勝負も大事やからね。」
ええっつ?!何のことです? 今のままでいいんですかだめなんですか、何ですの??

時々、禅問答のようなアドバイスをさらりとくれる熊のプーさんでした。

プロップというポジション通りの飾らない誠実な生き方とお茶目でチャーミングな人柄が、世代を超えた多くの人から支持されるのは当たり前で、あっという間に医学部長から熊大学長になりなさった。
学長就任以降はテレビや新聞でお見かけする天上人でしたが、年に一度いただく自筆の年賀状がありがたくももったいなくてしかたありませんでした。

森野先生、ありがとうございました、またそっちに行ったらいろいろ教えてください。合掌。

  • 2011年03月03日(木)15時26分

森都医報 721号

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熊本市医師会が発行している雑誌に掲載されたエッセイです。(以下テキスト、長文です)

「新年雑感」  熊本血管外科クリニック 宇藤純一
 あけましておめでとうございます。昨年5月上通町に血管外科専門クリニックを開業し熊本市医師会に入会させていただいた新米会員の宇藤と申します。新年1月3日の8時から16時まで医師会病院の出動協力医として外科外来を担当しました。大学在局中も深夜帯の当直経験はあるのですが、「熊本市医師会員」と刻まれたネームプレートを胸にすると何か姿勢を正さねば、という思いになりました。入会以来お役に立つこともなく一年を過ごしてきましたので、新年早々心地よい緊張感と共に初仕事をさせていただきました。
 内科や小児科の混雑振りは驚きでした。お昼休みを摂る時間もなくノンストップで外来診療を続けておられ、新年のご挨拶をかわす間もない程の忙しさでした。医師会病院が地域の多くの方から信頼を得ている証であると同時に、日本の救急医療の現場が医療人の善意と犠牲的精神により成り立っていることが再認識させられました。常日ごろ、自分自身のクリニックでは予約制で診察と手術をしているため、救急外来という真逆の立場で現場の緊張感を体験させていただくことが出来、正月気分も消え去り何かしゃきっとした気持ちになりました。
 小生常々、医療人は貴重な社会資源であると思っております。医師の場合、一人前になるまでには相当の年限とエネルギーを要します。一人前になった後も仕事そのものが社会の役に立つべき存在であると思うからです。ちっぽけな存在である小生でも「人さまの役に立ってなんぼ」との思いからこれまで仕事をしてきました。医師を志しさらに血管外科医として修行を続けている理由も人に喜ばれる仕事をしたい、世の中の役に立ちたいという単純な動機が根底にあるからです。
 さて昨今そんな医療資源がぞんざいに扱われてはいないか大いに気になるところです。モンスターペーシェントやモンスターペアレントの存在がそうです。常識を逸脱した過剰な権利の主張は社会悪ではないかと思います。思いやりや惻隠の情といった日本人古来の特性が失われつつあるのでしょうか。国民性が劣化しているとは思いたくはありませんが、もう一度国民教育そのものを見直すべき時期が来ているのではないでしょうか。
 また医療現場を報道する際、ミスリードしがちな一部のマスコミの責任も大きいのではないかと思います。メディアはその影響力が大であるが故、客観的な検証と充分な勉強をしてもらいたいと思います。また訴訟の場における司法判断のなかには思わず首を傾げたくなる事案も少なくありません。ぜひ常識と良識に基づいたもっと「フェアな」社会正義を示していただきたいものです。
 新年早々わが身も省みずつい過激な表現になりましたが、自分自身の姿勢をもう一度見つめなおし、社会資源のone of themとして誠実に仕事を続けたいと思います。新しい年が日本の医療界全体にとって理にかなったフェアな一年になると良いですね。投稿の機会をありがとうございました。今年もよろしくお願い申し上げます。

  • 2011年03月01日(火)12時39分

St. Valentine's Day

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本日はバレンタインデイです。
私めもクリニックのスタッフ達から結構なものを頂戴しました。
気を使ってもらって、どうもありがとね。

さて、20年くらい前に欧米に3年ほど住んでいたことがあります。
むこうでは恋人達がプレゼント交換をするような感じの日でした。
花、カード、宝石、キャンディ、ワインなどなど・・・

私個人の感想としては、欧米に無い日本ならではの義理チョコも大歓迎だし、
ホワイトデイのクッキー(これも日本ならでは)もOKと思います。

今や日本古来の「村」のゆかしい風習ともいえるバレンタインデイです。
独自の文化として定着したものをあまり難しく考えることはないのかな、と思う今日この頃です。

ちなみに、右の写真は80過ぎた母親からのプレゼントです。
50過ぎの息子はチョコレートも有難いのですが、いっしょについてきた「白菜の漬物」が何といっても嬉しかったです。

  • 2011年02月14日(月)13時23分

郷まどか作 「地蔵絵」

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当院で治療を受けられた患者さんから本と絵葉書集を頂きました。
ご主人が書かれたお地蔵さんの絵です。

公式HP:郷まどか~陶地蔵と地蔵絵の世界~
http://www.ojizousan.com/

「おかげさま」「ありがとう」など日常の中で使いたい言葉が
添えられた幻想的で穏やかなお地蔵様の表情に引き込まれます。
静かな佇まいの中に凛とした透明感のあるパワーを感じます。

毎日毎日ビルの3階にこもって仕事をしていますので、
外の風に触れることなく一日の大半が過ぎていきます。

そのかわりに、患者さんやご家族、お付き合いのある業者さんや職員が世の中のことを教えてくれます。
まさに、「おかげさま」で「ありがとう」です。

頂戴した作品はクリニックの待合室に置かせていただきました。

  • 2011年01月27日(木)11時53分

Surprise

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日本静脈学会・岩井武尚理事長のお名前で学会評議員の委嘱状が昨日自宅に届きました。

新春のBig surpriseです。

会員歴も浅く、大学を離れて久しい一開業医を、このようなポストに推挙していただいた理事会の皆様に感謝申し上げます。

「下肢静脈瘤の日帰り手術」をテーマにここ数年間無我夢中で勉強してきた熱意と姿勢を評価していただいたのだと思います。

これからも臨床的に良い成績を示し続けることはもちろんですが、学術的にも社会に発信できる仕事をしていきたいと思います。

  • 2011年01月22日(土)08時35分

新年のご挨拶

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あけましておめでとうございます。
今年一年が皆様にとってすばらしい年になるようお祈り申し上げます。

さて元旦恒例の初詣出は藤崎八幡宮にお参りして新しいお神札を頂いてきました。さっそく院長室の神棚へお納めしています。

藤崎八幡宮公式ホームページ http://www.fujisakigu.or.jp/

仕事始めは3日、医師会病院の日直を仰せつかり、久しぶりの救急外科外来をみっちり8時間こなしてきました。小児科外来は2時間待ちの状態で担当DRたちは昼食を摂る暇も無いほどの激務です。年初めから気合注入全開モードという感じでした。

本日は午後から初オペの予定です。
一年を通じてコンスタントに高いレベルの手術が出来るよう、心身ともに良好なコンディション作りを心掛けたいと思います。

皆様には昨年同様よろしくご指導ご助言をお願い申し上げます。

  • 2011年01月04日(火)09時26分

良いお年をお迎えください

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今年最後の予定手術が無事に終わりました。
開院以来8ヶ月で319症例、すべて日帰りストリッピング手術でした。

高齢開業を心配しサポートしてくれた多くの友人・知人・親戚・スタッフの皆さん、この場を借りてお礼申し上げます。

また熊本で初めての日帰り手術専門クリニックへわざわざお越しいただき、治療を受けていただいた患者さんやご家族にも深く感謝申し上げます。

早いもので医師になって30回目の誕生日を本日迎えました。
これから先、一日でも長く外科医としての仕事を続けることが何がしかの社会貢献になれば幸いと思っています。

自分の周囲に仕事があることの有難さ、人から求められることの有難さ、サポートしてくれる仲間の有難さを忘れずに、来年も誠実に下肢静脈瘤日帰り手術に取り組んでいきたいと思います。

今年一年大変お世話になりました。
また来年もよろしくご指導ご助言をお願い申し上げます。

  • 2010年12月28日(火)16時01分

熊本城

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土曜の午後仕事も終わり、お城のちょい先の二の丸公園内にある県立美術館本館(http://www.museum.pref.kumamoto.jp/)へ行ってきました。知人の招待でビエンナーレ KUMAMOTO FINALを鑑賞させてもらったのですが、暖かい昼下がりの公園はのんびりした週末モードで頭も心も癒されますね。
 
すぐ近くに居ながら久しぶりの熊本城ですが、一昨年の本丸御殿完成以来、入城者数も増えているらしくハングルや中国語も飛び交い観光客で賑わっていました。

熊本城公式ホームページ http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/

夜は古い外科仲間と時を忘れてにぎやかに痛飲
・・・今朝は軽く二日酔いですが、何とか夕方までに体調を取り戻して、また明日以降の手術に集中です。

  • 2010年12月19日(日)09時27分

X'mas SONGS

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師走です。
巷ではボーナスが出たり、忘年会があったり、年賀状はがきを準備したりと、当に年の瀬を感じさせる季節になりました。

クリニックでも、子供達が小さいころに飾っていた人形や、お祝いに頂戴したバカラなどを集めてプチデコレーションをしています。

猛暑の夏、オペ中に流していたハワイアンの替わりにniceなクリスマスキャロル集をゲットしました。偶然に見つけた月刊誌の付録ですが、中身は結構充実してます。

  • 2010年12月11日(土)12時14分

初冬の低山歩き

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週末の天気予報は快晴。
しかし我が家には金曜から腹痛で二人がdown。
土曜午後からははおさんどんしてました。

本日朝から両人とも急速に病状が回復。
気温9度、雲ひとつ無い空の下、八方ヶ岳(1052m)へ向いました。
眺望が期待できる県北屈指の明峰です。

さすがに12月上旬、紅葉は完全に落ち葉になっていました。
山頂は県外からの方も多く、雲海の西のかなたに雲仙(長崎)、北に背振山系(佐賀・福岡)、東に久住連山(大分)、南に阿蘇五岳と見渡す限りの絶景パノラマです。

下山後はお約束の菊鹿温泉で久しぶりのヌルヌル名湯を楽しんで帰宅しました。
明日からまた仕事に集中です。

  • 2010年12月05日(日)17時30分

大木教授の講演会

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昨日は第24回熊本末梢血管研究会が開かれました。

会の創始者である松本孝一先生のお骨折りで、あの東京慈恵会医科大学血管外科の大木隆生教授をお招きしての講演会でした。会場は立ち見がでるほどの盛況ぶり。カリスマ大木ワールド全開の熱いトークが炸裂しました。

NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」に登場する外科医としての映像より、さらに奥深い広がりとあくまでもpatient-orientedな「ナマ大木」に間近に接することができ秀逸なライブを観た後のような興奮を覚えました。「人間の持つ普遍的な欲望は人から感謝されること。100回生まれ変わっても100回外科医をめざす」というフレーズには胸打たれる思いがしました。

外科医を志す人が年々少なくなる中、彼が帰国後教授に就任して以来、毎年10~20人の入局者が慈恵医大血管外科の門をたたく理由がわかるような気がします。この数字は昨今の外科離れの中にあっては天文学的な数字です。血管外科医としての高い技術や先進性というだけでなく、閉塞感のある今の医療の現場にあって、オピニオンリーダーとしての彼の人間的魅力が際立つのだと思います。

「外科医」という職業がいかに尊いか、患者さんに喜んでもらうことで外科医のメンタリティがどれだけ保たれるか、手術を成し遂げたときのプライスレスな精神的充実感などなど、多方面からユーモアを交え、時に自虐的なエピソードも織り交ぜながらお話いただいたあっという間の1時間半でした。高齢で開業した自分にとってはタイムリーなカンフル剤でした。明日からも1例1例を大切に誠実に手術に望もうと勇気をもらった感じです。彼は日本の外科の至宝です。これからも体に気をつけて益々活躍をしてもらいたいものです。

写真前列右から2人目が大木教授、一人おいて松本孝一先生です。

  • 2010年11月20日(土)08時07分

根子岳 曇りのち晴れ

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先週の「立田山紅葉狩りフライング事件」を挽回すべく
今回は真剣に情報収集をしました。

根子岳がベストシーズンとのことです。
前日の天気予報は晴れ。
迷うことなく早朝高森町へ車を走らせました。

ん?何かおかしい、何かいつもと違う
・・・根子岳が見えない・・・
まあ、そのうち雲も動くだろうと登り始めたのですが・・・

写真は一瞬の霧の隙間から見えた地獄谷の紅葉です。
東峰山頂も四方真っ白で天狗峰も見えませんでした。

また来年きますねと、ふもとの赤牛に別れをつげ、
お楽しみの温泉につかり、露天風呂から見上げるとなんと・・・
あれっ、山頂の雲は去り、あっぱれ快晴でした。
(報道局文化部:宇藤)

  • 2010年11月07日(日)16時47分
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